私にとって、小・中・高・大、それぞれの学生時代の友人というのは、
現在においても決して「過去」ではなく、進行形の「親友」達だ。
幼なじみの小・中時代の友人、
共に部活に励んだ高校時代の仲間、
人生観や将来のことについてお酒を酌み交わしつつ語り合った大学時代の友人。
いろんな考え方の人がいて、でも、共通の想い出があって、
刺激を受け合える人たち。
各個人で受け止め方はもちろん違うと思うが、
多くの人が似たような友人がいて、かけがえのない宝になっているのではないだろうか。
少なくとも、私はそうだし、私の友人達も同じような価値観だ。
ところが、元カレはちがっていた。
カレと話をしていると、カレの「先輩・後輩・友人」の話がたくさん出てきた。
私は、てっきり、学生時代の友人だと思っていた。
そのうち、その解釈だとつじつまの合わないときが出てきたので、
「なんの先輩なの?友人なの?」と聞いたら、ほぼ全て、
学会の先輩・後輩・友人のことだったらしい。
で、逆に「学生時代の」友人の話を聞いてみたら、
幼なじみで小学校から付き合いのある、学会員の友人を抜いたら、
現在でも付き合いのある、学会抜きの「先輩」が一人いるだけだった。
(カレがつないでいる、というより、面倒見のよい先輩が、いろいろ心配して連絡をくれているって感じみたい。)
ということで、カレのプライベートの友人関係は、ほぼ学会関係者で占めているらしい。
決して人付き合いが悪い人でもないのに、この非学会員の友人の少なさって、
時間が無いこと以外にも、何か理由があるのかな~、と、漠然と思っていたのだけれど、
カレの「創価思考」に理由があったような気がします。
まず、以前も書いたように、カレは「選挙前のF取り」をしていました。
これって、やっぱり、友達をなくすことになると思うんですよね。
F取りで100人に電話した…ってのは、
「友達100人なくすかな♪」
(by1年生になったら)
って行為だと思います。
「選挙電話」で友人に距離をとった私から見ると。
あとは、これも私にはかなり大きな衝撃だったのですが、カレは「勧誘」もやってたのです。
「折伏」っていうのでしょうか?
カレの友人で、お父様を事故で突然亡くした方がいらっしゃったそうです。
その友人が、悲しみ、沈んでいるのを見て、
「俺もこの宗教で救われてるから、お前にも救いになると思う。
絶対いいものだから、やってみろよ!」
と、誘ったんだそうです。
カレの友人は、「弱っているときに、つけ込んでいる!」と言って、怒ったそうです。
(私もそう思う…)
で、怒られても「絶対イイから!」と言い続けるカレとケンカになって、
その友人とは切れてしまったらしい。
……非学会員の「心を許せる友」をGETするのは、これじゃ難しいかな…。
問題は、元カレは、「まったく悪意がない」ということ。
「選挙前に電話なんかしたら、友人に嫌な思いさせるかな…」とは疑ってもいないし、
むしろ「選挙に無関心な若い世代に啓蒙活動してるぜ、オレ!」みたいな、
使命感というか、「いいことやってるぜ!」的満足感があったようです。
これでは、「うさんくささ」「押しつけがましさ」「嫌悪感」を感じている非学会員とは、
相容れないでしょう。
また、「本当に友人を苦しい状況から抜け出させてやりたい!」という「真心」で勧誘しているので、
「オレの言うとおりにすれば、幸せになれるのに…」と友人を憐れむことはあっても、
「どうして、受け入れてもらえなかったのか、友人を怒らせたのか」とは考えが向かなかったようです。
「なぜ、わかりあえないのか」
この、疑問に対する答えは、このカレの友人関係にヒントが隠れている気がしますが、
まだまだ解答への道のりは遠そうです…。