私は、宗教色のない、ある私立高校で教師をしています。
ちなみに、このブログに出てくる学会員の元カレも、同じ職場の同僚です。
私は今まで、自分の受け持ちクラスにいる生徒の中にも、
きっと学会員はいるだろう、と自覚はしていました。
何かの時に、学会員であることを実際に知ることも、何回かありました。
(他の宗教もありますよ。過去に、エホバの証人もいました。
イロイロありましたが、今回は関係ないので割愛します。)
当然のことながら、それで何かしらの意識的な差別・区別をすることはありません。
授業やクラス経営の中で、宗教的な発言も批判もしないことが原則ですし、
自分でもそう心がけています。
よほど、生徒や保護者から、宗教的アプローチがない限り、
宗教色を出すことはタブー視されています。
とはいえ、いくら気をつけていても「人 対 人」の関係なので、
私の考え方、宗教観がにじみ出る場面もあるとは思うのですが。
今、私の受け持ちクラスにも、一人の「学会員」の生徒がいます。
この生徒は、自分で私に打ち明けてきたのです。
「僕は、この信心を多くの人に広めたいのです。」と。
ちょうどその時、タイミングよくというか、悪くというか、
私は元カレとの関係の中で、創価学会に対する疑問が大きくなっていたときで、
打ち明けられて、一瞬、どう答えていいのかわからず、絶句してしまいました。
心を落ち着けて、
「そう。信じて打ち込めることがあるのはいいことだね。」とだけ答えました。
この答えが、教師、担任として、ベストだったかどうかと問われれば、
ベストではなかったかもしれません。
でも、その瞬間の自分としては、これが精一杯でした。
教師として、担任として、他の生徒と同じように、この生徒に対する愛情と責任感はあります。
私に自分が学会員であることを打ち明けてきた生徒の表情は、
私を折伏しようとか、そう言った意図は感じられませんでした。
例えば「パイロットになりたい」という夢を語るように、純粋な表情で語ったのです。
だから、余計に複雑だったのです。
今の時点で、彼は周囲の友人に「カミングアウト」はしていないようです。
でも数年後、おそらく選挙権を持つ頃には、同じように純粋な気持ちで、
「いいものだから」「みんなにも広めたいから」と言う気持ちで、
きっと選挙活動をし、その結果、周囲の人にカミングアウトすることになるのでしょう。
もしかしたら、悩める友に、創価学会を勧めるかもしれません。
その時、賛同してくれる人もいるかもしれませんが、おそらく彼にとっては初めて、
正面から批判したり、または批判はしないけれど、彼のことを遠ざけると言った、
周囲の人からの「洗礼」を受けることになるのだろうと思います。
その時、彼はそれをどう受け止めるのでしょうか。
「『魔』だ。」と受け止めるのでしょうか。
「誹謗中傷だ。」と怒るのでしょうか。
「偏見だ。」と嘆くのでしょうか。
「これが世間の見方なんだ。」と気付くのでしょうか。
とても気になります。
また、彼は以前、「大学では、○○学科で勉強したい。」と言っていたのですが、
後日の保護者面談で、保護者から、
「創価大学に進学させたい。」と言われました。
「創価大学には、彼が希望する○○学科はないのですが。
その辺は話し合われましたか?」と聞くと、
「息子も同意しています。」との答え。
翌日、彼を呼びだし、
「この間まで言っていたことと違うんだけど、本当にちゃんと話し合ったの?
○○学科は創価大学にはないけど、納得してるの?
下宿ダメ、って言ってたけど、ここ、通いきれないよ。どうするの?」
と聞いたところ、
「創価大学は別格なんです。ぜひ、行きたいんです。
でも、他の大学も受けるので、その時は○○学科を受けます。」とのこと。
なんの基準を持って大学を選ぶか、
なんの基準を持って幸せとするか、
それは個人の自由なので、とやかく言えませんし、言いません。
でも、やはり、釈然としないものは感じます。
今、私が悩んでいるのは、この生徒に対し、
「学会員以外の人には、こういう考えを持つものもいるんだよ。」と言う意味で、
私の考え方を、今の彼に示しておいた方がいいのかな、ということです。
私が「非学会員」の代表になるなんてのはおこがましい考えですけど、
今、彼に学会以外からの観点で話をしてくれるオトナはいないのではないかと思うのです。
学会以外の考えに触れずにオトナになることが、本当に彼にとっていいことなのかどうなのか、
私には気になるのです。
「信教の自由」を盾に、宗教や信条にはふれずにやり過ごすのが、
一教師としては、一番無難で、楽な方法です。
(ヘタにつつくと、保護者が出てきて、裁判だ~、とかにもなりかねませんから。)
でも、それが「生徒のため」なのかな、と考えると、私にはまだ答えが出ないんです。
どれだけ、どこまで、この生徒と関わっていくか。
これを考える意味でも、今、勉強中の私です。