今、手元に元の本がないので、正確な言葉は覚えていないのですが…。
昔読んだ、さだまさしさんの本に、こんな文章があった。
「人生には『余白の時間』が必要だ。
効率主義で、キチキチで動いていると、
『のりしろ』がなくなっちゃう。
うまく周りとくっつかなくなるんだ。
『のりしろ』は『余り』じゃないから、切り捨てちゃいけないんだ。
『余白の時間』が必要なんだ。」
くどいようですが、文章は正確じゃありません。
が、ニュアンスとしては、伝わるんじゃないかと思う。
元カレの家(実家)は、職場からはかなり遠い。
職場の開始時間も早いから、毎日カレの起床時間は、5時半。
6時まで寝ていると、遅刻ギリギリになってしまう。
(いや、5時半に起きても例のヤツを唱えてたらしいけど…。)
職場に着くのが7時半ごろ。
仕事が終わるのは、平均7時半。
実に、職場に12時間もいる。
家に着くのは9時前後。
土日も、部活とかがあるから、結構つぶれる。
これも過酷だけど、カレにはさらに、会合が入る。打ち合わせが入る。
私にはわからない、メールや電話の連絡は、いつも取ってる。
たまに、仕事中も連絡していること、私だけは気付いてる。
二人で会っている日以外は、いつも電話やメールをくれたけど、
その時間はいつも、日付が変わる頃。
これは、家に帰る車の中か、家に着いた直後の駐車場での話。
食事は外でとってくるとして、お風呂に入って眠るのは、1時、2時の話。
それでも電話をくれたカレには、とても大事にしてもらっていたのだと思う。
付き合っていたときも嬉しかったし、感謝してた。
でも、いつも苦しかった。
「無理させてる…。」って。
「無理しないで。」って言っても、「俺も声聞きたかったんだから。」って言ってくれる。
声を聞きたかったのはこっちも同じだから、二の句が継げない。
そうはいっても、無理はさせたくない。
毎日4時間あるかないかの睡眠時間で、夜中まで車を運転してほしくない。
余裕のない顔で、人と接する仕事をしていて、いい結果が出るわけない。
はじめは、「私が、『電話してこないで。』って言うのがカレのためなんだろうか、
でも、私も声聞きたいのは嘘じゃないし…。」って悩んだ。
そうは言っても、私も気を遣ってたから、電話はいつも10分くらいが関の山。
その時間をどうこういうより、「活動」そのものをセーブすればいいじゃないか、と考えるまでに、そうは時間はかからなかった。
でも、そう言ってみても、カレは活動をやめる気はさらさら無い。
そして、私と別れた今も、カレは走り続けてる。
カレには、「余白の時間」がない。
走り続けている。
振り返る、立ち止まってみる時間がないんだと思う。
だから、すぐにせっぱ詰まる。今も。何かあるとすぐに表情がなくなってくる。
そして、反省の時間もないから、同じような失敗を、何度も繰り返す。
いつも必死でやっているのに。多分、誰より真剣にやっているのに。
周りの人が、どんな目で見ているかにも、思いを馳せる視野の広さを育てられない。
上司や同僚が、「一生懸命なだけで、成長しないヤツ。」と思い始めていることにも気づけない。
「のりしろ」がほとんどなくて、崩れ始めてる紙工作みたいに見える。
紙工作が崩れる前に、「のりしろ」の大切さに気付いてほしかったんだけど。
「余白の大切さ」、知ってほしくて、私なりにいろいろ考えたんだけど。
私自身が、「切り捨てられてしまった『のりしろ』」になってしまった。
紙工作が崩れてしまう前に、誰か、カレに教えてあげて。